仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

サロモンへの説法(p246)

釈迦は語っています。

みなさん!

 私たち多くの人は、不平不満の生活を送っている。
足ることを忘れ、苦しみをつくる愚かなものようである。
私たちは、まず、こうした事実に、目覚めなくてはならない。

そうして、この苦しみから解脱しなければならないようです。

そのためには、苦と思えない自分を作ることが先決であり、自己の確立が大事です。
つまり、八つの条理を、生活の基礎に置き、それを物差しにして、自分自身の心と行いを整えることが必要です。

正しく思うこと
正しく念ずること
正しく思うこと
正しく念ずること
正しく仕事をすること
正しく生きること
正しく道に精進すること
正しく定に入ること

八正道を実践し、
安らぎの境地を目指したいものだ。


<原文 高橋信二著「人間・釈迦」より>

サロモンたちよ。そなたたちは、天国において、自らが両親を選び、肉体舟の縁を結んでこの世に生まれた。生まれた環境も、みんな自分の意思がそれを決めた。だが、この世の生活になれるに従って、両親に対する感謝の心を忘れ、報恩の心をないがしろにしていく。不平不満の生活を送るというのが大半の人生である。ところが、人生における富、地位、名誉というものは、この世限りで永遠のものではない。それをまず腹に収めることだ。生まれた時が裸なら、死ぬ時も裸である。ところがこうした真実を忘れ、貧しい家に生まれると、心まで貧しくなり、反対に、裕福な家庭に生まれると、感謝の心を忘れ、堕落していく。ある者は、それぞれの環境の中から欲望のとりことなり、足ることを忘れて、苦しみを作っていく。あわれというより、人間とは、愚かしきものよ。

 サロモンたちよ、そなたたちは、まずこうした事実に、目覚めなくてはならない。そうして、この苦しみから解脱しなければならない。自らの心を縛り付けてしまう。この繋縛を解くには、正しい心の物差しを持って、毎日の生活を送ること以外にないのだ。よこしまな考え、行いを捨てることだ。ミタガヤの自然を見るがよい。山川草木の自然は調和している。生かされるままに生きているではないか。小鳥や動物たちの生活は、一見弱肉強食のように見えているが、よく見ると、彼らは自分を生かしながら、他を生かしている。トラやハイエナは、腹が満たされれば、他を襲うことはしない。草食動物が増えれば、草木が枯れてしまう。といって草食動物がいないと、草木は育ちにくい。彼らは、自然の条理に従って、自然を生かし、自らも生きている。自然は、相互に依存しあいながら、ぜんたいを調和させている。動物たちの弱肉強食の姿をとらえて、人間に当てはめようとすると無理が出る。彼らは、そうした姿を通して、全体を生かしているものであるからだ。人間は、互いに助け合い、自然をも含めて、より高い調和を目指すものである。ところが、欲望の渦中に自らを置き、争うために生きてしまう。トラ同士で殺し合いをするだろうか。よくよく考えなければならない。私の法は、大自然の万世万物が、相互に関係し合い、そうして、全体絵を安定させているように、まず、自己保存、自我自欲の心と行いを捨て、人間はみな兄弟という心境になることである。そうして、社会人類に奉仕することだ。苦と思わず、実践するとだ。苦と思える自分があっては、実践はおぼつかない。そこで苦と思えない自分を作ることが先決であり、自己の確立が大事な要件になってくる。その要件を満たすには、八つの条理を、生活の基礎に置き、物差しにして、自分自身の心と行いを整えることだ。

正しく見ること
正しく語ること
正しいとは、偏りのない中道をいう。相手のいうこと、そして自分の見方、見解に偏見がないかどうか。人間はえてして、自己中心となり、他人を傷つけ、自分の心にも傷をつけてしまう。不利なことであっても、常に第3者の立場に立って、正しい判断と、正しい言葉を忘れてはならない・

正しく思うこと
正しく念ずること
五官を通して私たちの心の中に生ずる現象、つまり思う、考えることについても、偏らせてはいけない。思うことは「もの」を作り出す原動力であり、創造の源であるからだ。心の中で不調和なことを思い。そうして念じていくと、やがてその不調和を人々に及ぼし。自分に帰ってくる。自己の利益だけを思ったり、相手の不幸を決して念じることがあってはならない。常に円満な、中道の心を持ち、怒り、そしり、ねたみ、うらみ、ぐちることなく、足ることを知った心の状態を心掛ければ、心は光明に満たされ、安らぎの境地に至ることができる。

正しく仕事をすること
自から選び、与えられたその職業は、それがそのまま天職であり、その仕事を通じて、人生を学習していく。仕事、職業は、人生経験を豊かにする新しい学習の場であることを忘れてはならない。職業は、人々が生きていくうえの相互依存の大切な場であり、従って、健康で働けることに感謝しなければならない。感謝は報恩となって実を結ぶ。百姓たちが野良に出て精を出し、収穫を得ることによって家計が保たれる。報恩とは余ったものを人々に布施することだ。困った人々を見て、見て見ぬふりをし、自己保存に耽る心は、自らが苦しみの種をまいている。仕事といっても、他に害を及ぼす仕事が正しいとはいえまい。

正しく生きること
正しく道に精進すること

正しく定に入ること
偏りのない人生を歩いているか、いないか。人としての道をはずしていないのどうか。瞑想という反省を通して、心の曇りを晴らした生活が大事なのである。私は36年間の人生において、思ったこと、行ったことの一つ一つを反省し、心の曇りを取り除き、一切の執着から離れることができた。安らぎの境地は、こうして得られた。そなたたちも今から、今までの人生体験の善悪を反省し、八正道にそむいた想念行為があったならば、心から神に詫び、同じ間違いを起こさないようにすることだ。反省は、盲目の人生航路を修業する人間に与えられている神の偉大な自費なのだ。動物たちに反背の能力がないことをみてもわかるだろう。」