仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

動画観察メモ;「ブッダの生涯(BBS)1/5~5/5」

(1/5)キリスト誕生500年前、ブッダの出家⇒ブッダは、永遠の至福「涅槃」を求め、苦難の旅に出た。
平和の象徴、憐れみの象徴、非暴力の象徴です。
それはブッダであった。(ダライ・ダマの言葉)
究極の英知を求め、すべてを捨てた。
彼は心の闇の回廊を旅し、悪魔(心の奥底に住む煩悩など)と向き合った。
全き平安と幸福に至るために、冥想を用いる宗教だ。
仏教は、瞑想を用いる宗教で、究極の真実を知るための力であり、努力なのです。

仏教は他の宗教のような至高神を持たず、ブッダ”目覚めたるもの”を師と仰ぐだけだ。
仏教は宗教というより、人生の問題に対処する治療法というべきである。

(2/5)ブッダは、自然界の仕組みに興味を持った。
こうした人間存在の根本的事実がもたらす大きな衝撃を、私たちが正面からとらえ解決を図るべきだということです。
人間存在の根本的事実⇒生・老・病・死

(3/5)修行僧は世の楽しみを捨て、現実に向き合うことで、存在自体がもつ苦悩を解決しようとしたのです。ブッダは物事のはかなさを初めて知ったのです。
存在がもつ痛みを解決すべく、現実と向き合う。
ブッダは、心の深層を知ることを求めた。

(4/5)肉体的執着が消え、幸福感に満ちた瞑想こそ、悟りへの道なのではないかと彼は考えたのでしょう。
そしてある時、楽器を調音する人を観た。
弦が緩ければ弾けず、張りすぎれば切れてしまう。その中間で調音するのだ。
これを観た彼は、大いなる気づきを得た。
探していた調和、悟りの境地は中道にあったのだ。
肉体を無視するのでも、力ずくで操るのでもなく、よく意識することで、彼はこの境地、中道を目指しました。
悟りとは、内なる平安、調和である。

神聖な4つの真理 四諦
①人生にある苦を認めること。
②苦の原因たる願望を知ること。
③願望を癒せると知ること。
④その病を癒し、悟り、涅槃を得る方法である。
究極には、切望、無知、強欲、憎しみ、幻想を離れ、転生の因を立つことであり、悟りを得たものは、死後、生を選択しない自由を得られるということです。

ブッダはさらに、悟りへの段階として、道徳、冥想、智慧を説いた。
彼は苦から解放される道に、残りの人生を捧げた。
熱心に実践すること、常に意識的であること、この2つが仏教です。

(5/5)悟りへの道は、心の集中と戒律から始まる。
道徳、冥想、英知、つまり、殺さず、盗まず、性的不品行をせぬこと、虚言せぬこと、酒類や酔わせるもの耽らぬことです。
これが仏陀が最初の教団で提唱した生き方だ。
人生の問題に対する答えを見つけ、いかに生きるかを知るべく、妻子を捨て、独り、旅に出たことは、仏教徒に支持されました。
いかに生きるべきかを知ることは、いかなる財産より、愛するものといることより、大切でした。

ブッダは瞬きする一瞬に悟りを得ました。
仏教は神を持たない宗教です。
ニルバーナ(涅槃)は私たち一人ひとりの内にあると説く宗教です。