仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

梵天界での説法?

みなさん!
すべてのものは、そのもの自体で存在するのではなく、別の何かを原因として、発生したり、なくなったりするようですよ。

わたしたち、人の魂は、永遠の進化をつづけています。
その進化の中で、眼、耳、口、鼻、身、意識の五官六根が、苦しみ、悲しみをつくります。

わたしたちが、苦しみや悲しみから自由になるには、つまり、幸せ、心の安らぎを得るには、苦しみや悲しみを生む五官六根にとらわれないで、
正しく見、
正しく思い、
正しく語り、
正しく仕事をなし、
正しく生活し、
正しい道に精進し、
正しく念じ、
そして、常に反省を怠らないこと。

つまり、八正道を実践することです。


八正道を実践することで、この一切の苦・束縛・輪廻から解放されます。
「悟」って、ニルヴァーナ(涅槃=「幸せ」「永遠の平安」「完全な平和」「絶対の安らぎ」)の境地に入ることができるようです。

さらに、それを体感することが必要なのです。
瞑想によって・・・。

釈迦は圧倒的体感として瞑想修行の末に悟った。

悟りは体感のようです?
すべての五感と脳を使った体感、それが釈迦の悟った中身です。



<原文(高橋信次著「人間・釈迦」第1部より)>

「すべてのものは縁によって生じ、縁によって滅する。人の魂は、神理から始まり、神理に従って、永遠の進化をつづけていくものである。が、進化の途上において、神理から外れた生活行為を生み出していく。その原因はいずれにあるか。人生の苦しみ、悲しみは、自らの心がつくり出した。いわば心の陰であり、その陰は、五官六根を縁とするところにあるのである。人がこうした」苦悩から解き放たれるには、八正道という中道の心を目標にした実践行為しかない。五官六根は一方において執着を生み、執着は足ることを知らない心がつくっている。心の安らぎを求めるならば、まず足ることを知った生活、囚われのない生活、人間として、神理に即した義務と責任を果たしうる自覚が必要なのだ。今、この場は民族を超えて、人々が集まっている。人類は、みな兄弟であるということを、如実に、示している。この事実を、下界の人々に知ってもらわなくてはならない。あなた方の使命は、重大と言われなければならない。・・・・」 (幽体離脱中の体験)