仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

コースタニヤとナーマンへの説法(p255)

釈迦は語っています。

みなさん!
あなたたちの不遜な態度は、自らの心を傷つけ、自らして苦しみをつくっています。
愚痴る心は、自らの想念行為を、横道に歩ませる原因をつくります。

相手の心と行いについて、理解を示し、寛容な心を持っていれば、愚痴る心もわいてこないものです。
ほとんどの人は、自己保存の心に束縛されて、他人も、自分も見失ってしまう。
不調和はそこから生まれ、苦しみ、悲しみの原因をつくってしまうことを悟るべきだろう。

心を正すには、即座に実践することが大事であって、明日があるという考えを捨てることに尽きるようです。
人生は無常であり、死はいつ襲ってくるかわからない。とブッダは語りました。

日のことは今日にうちになし、常に心の整理をして、生きられたことに感謝することが最も大事だと思います。

禅定は、自らの心と行為の一切を、正道によってよく反省し、心の中の曇りを除くことです。
執着から離れ、常に心が安らぎに満たされておれば、禅定の心はそのまま実在の世界に在し、三味の悦びに浸ることができる。
従って、今日から八つの正道を、心の物差しとして精進するべきだろう。

人間は生まれによって聖者になるのではない。正しい心と行いの積み重ねによって、自らを完成させていくものです。
そうして、人々を慈悲の心で、その苦しみから救っていく。こういう者こそ、光明に満たされた立派な人間といえます。



<原文 高橋信二著「人間・釈迦」より>

「コースタニヤよ、そなたの不遜な態度は、自らの心を傷つけ、自らして苦しみをつくっていた。
愚痴る心は、自らの想念行為を、横道に歩ませる原因をつくる。
相手の心と行いについて、理解を示し、寛容な心を持っていれば、愚痴る心もわいてこないだろう。自己偏愛が、愚痴になったり、怒りになったり、そしり、ねたみ、足ることを忘れる欲望の亡者になっていくことを、悟るがよかろう。

しかし、ウルヴィラの一件は、私に人生を振りかえる大きなきっかけとなった。道を求め、幾多の体験を積んできた者たちは、どんな小さな問題でもその問題の中から大きく悟れる機会を、常に持っていることを心に銘記すべきだ。」

「人間はだれもメクラだ。過失を犯しやすい。他人の心がわかれば、調和への道も開かれよう。
しかし、ほとんどの人は、自己保存の心に束縛されて、他人も、自分も見失ってしまう。不調和はそこから生まれ、苦しみ、悲しみの原因をつくってしまうことを悟るがよかろう。

心の正しい基準を知って、よくその原因を追求し、反省することが大事なのだ。過失は素直に認めて修正し、過失を起こさないような生活が、自らの心を豊かにし、苦しみの人生から脱皮することができるのだ。

心を正すには、即座に実践することが大事であって、明日があるという考えを捨てることだ。
人生は無常であり、死はいつ襲ってくるかわからない。
今日のことは今日にうちになし、常に心の整理をして、生きられたことに感謝することが最も大事だ。
一日一生は心と行いが充実した毎日でなければならないだろ。
禅定は、自らの心と行為の一切を、正道によってよく反省し、心の中の曇りを除くことである。
心に曇りがあれば、光明への安らぎの心を閉ざしていることになるからだ。
曇った心は不調和な暗い世界に通じ、その状態で禅譲すると、心はマラー、キンナラ、マゴラー、アスラーのような地獄霊に支配され、心の自由を失ってしまう。
心の中にこだわりをつってはならない。
こだわりは、やがて、正しい自分の心と行いの自覚から遠ざかり、一生を棒に振ってしまうことになる。
執着から離れ、常に心が安らぎに満たされておれば、禅定の心はそのまま実在の世界に在し、三味の悦びに浸ることができるものである。

今日から八つの正道を、心の物差しとして精進するがよかろう。」

「ナーマンよ、そなたはよく自分の欠点を見つけだした。
正道を持たないものは、自分の欠点を探すことが困難であり、同じ苦しみを繰り返すものだ。
そなたは犯した罪を悔いあらためようとしている。
よいことだ。
人間は生まれによって聖者になるのではない。
正しい心と行いの積み重ねによって、自らを完成させていくものだ。そうして、人々を慈悲の心で、その苦しみから救っていく。
こういう者こそ、光明に満たされた立派な人間といえる。人間はみな平等であり、貧富によって、その人の人格が定まるものではない。
生活が貧しくても、心は豊かな者たちもいよう。生活が豊かでも、心の貧しき者もある。
欲望に足ることを知らない者たちは、心の中に多くの毒を作り出している。そなたは、今の謙虚な心を失ってはならない」