原始仏教 仏陀が教えた原初の教え(4/4)
◇「世界は空なり」と教える。
「釈迦の仏教」の基本的スタンスは、「神秘的な力を信じず、生きて行く上での苦悩をあくまでも、自分の問題ととらえ、自己改良の中に解決策を見つける、自己鍛錬の道である。」ことにあるようで
す。
彼自身の遺言「自分自身を救いのよりどころとして暮せ。ほかのものを救いのよりどころとしてはならない。法(教え)を島とし、法を救いのよりどころとして暮せ。」がそれを示します。
「お前たち自身(自分)」と「法(ブッダの教え)」の2つだけをよりどころにして生きていけと!
ブッダの教えの骨格は、これまで取り上げた「一切皆苦」「諸行無情」「諸法無我」に「涅槃寂静」を加えたもののようです。
「釈迦の仏教」では、「空」の例として、原始仏典の1つ、スッパニパータに「ここに自分というのもがあるという思いを取り除き、この世のものは空であると見よ』というものがあります。
ブッダは、こう考えたようです。
「世界は空なり。」と
ブッダによれば、「空」は、先に説明した「諸行無常」が語る。
「すべてのものごとに永遠の実態はない」
ということを別の言い方で表現したものであります。
大乗仏教では、「空」を教えの主役にし、大変重要な概念ですが、「釈迦の仏教」では、「空」とは、この世の正しいあり方を観るための概念の1つであって、「空」のみを特別なものとして別格扱いすることではないようです。
※「釈迦の仏教」とはおおもとの仏教、原始仏教を示す。
<参考>日本の仏教は、「釈迦の仏教」からはるかに遠い、枝別れの位置にあるようです。
例えば、親鸞の浄土真宗は、「愚かな私は、自力で苦しみから逃れられない。我々を哀れに思う阿弥陀というありがたい仏が、救いの手をさしのべて下さる。我々のすべきことは、その阿弥陀様の力にすがって身をまかすことだ。」と説いています。親鸞の浄土真宗はすぐれた宗教ですが、「釈迦の仏教」とは別物のようです。
最後になります。一言!
釈迦の仏教に期待できることついて、佐々木閑さんが語ってます。(要旨のみ)
「日本は今、生きづらくなってしまいました。
そのようの中、「自分の心と向き合い、自分の心をしっかり見つめ、そしてそれを自力で向上させいけ」と説く「釈迦の仏教」は、不安に陥っている人が、自分の状況を正確に把握し、発想を転換し、そして新しく生きていく道を見つけ出していくための力を与えてくれます。」
釈迦の仏教は、「こころの病院である。」 そして、“苦しみを”自分自身で消す方法を教えてくれるようです。
※これまでの投稿は、NHKテレビテキスト「ブッダ真理の言葉」から、私なりのまとめです。