仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

ima、読書中です。  「ブッダの人と思想」

第9章 空飛ぶ鳥に迹なし

仏教で用いられる「空」の意味は、万物万象には実体がない。
恒常不変の存在はないということです。
さらに、我々が見たり聞いたり、五官でとらえられるもの、精神の働きといってよいものは、実体なきものである。
空とはただ無心のはたらきに顕わになるのであって、思索される対象として存在するものではありません。(ダンマバタ92-93)

無明煩悩は一度に克服して解脱するのではありません。
その場その場で常に選択を迫られながら生きているのですかtら、一瞬一瞬が解脱の場になります。
いわば解脱し続けること、これが後世、
「修証不二」
つまり、修業と証は1つのものである、そこで自己浄化が古来強調されてきたのです。
我執が解消していくにつれ、真実の世界が顕わになり、ダルマが現成するわけです。
これを後世、
「法界現成」
といいます。(マッジニ・ニカーヤ)

我執は深い無意識の世界を源として立ち上ってくるのですから、簡単にはもとから断つことはできません。
ブッダがやかましく、努め続けよと説くには、こうした深い理由があるのです。(ダンマバタ21、スッタニバータ1119)

「自我に固執する見解を打ち破れ」
ということは、我執を挫けということです。
そうすると空住が実現する。
ゆえに、飛ぶ鳥の遮なきような無相の人を見つけることはできないと説きます。

この無相の人になるための実践が八正道(中道)ということになります。
八正道とは、
一言でいえば、我執克服の道、清浄行
ということになりましょう。

私たちは、この「我有り。有」の概念が抜きがたい執着であることを知らねばなりません。
これが死克服の第一歩なのです。(サンユッタ・ニカーヤ)


私は、世界は常住か、無常かにつては説かないが、生老病死の苦しみを制圧する方法については説くのである。
毒矢のたとえ。
まずその苦悩を解決するのが先決である。そして、その解決法が四諦の教えである。結局行き着くところは、八正道の実践ということです。(マッジマ・ニカーヤ)

この世界は生滅の世界ですから、「空無」であります。
そして
「我あり」の考えを離れて空無になれば、あとは「我なし」になるのですから
「法界縁起」の世界がありありと現成することになります。(ダンマバタ170)