ima、読書中です。 「ブッダの人と思想」
“我がものという執着“を離れて、欲望を滅し、清浄行の実践を説く
人間ブッダの説教とは?
さまざまな原始経典からのことばを引用しながら、現代を生きる人びとへ、ブッダの心の内面をわかりやすく解き明かす書
ブッダの人となりを、各章ごとに、12の視点から見る。
第 1 章 自らその意を浄める
ブッダの生まれた時代背景
血族を基盤とする人間関係(農村的部族型人間観)から、不特定なさまざまな出身地を持つ人間の集団である都市型の人間関係(普遍的な価値観)へ大きな変化を見た。
ブッダの教説のポイントは?
「慈悲」にある。
ブッダはどのような人か、どのような思想のもち主か?
ブッダの人となりを、12の視点から見る。
ブッダは、「道の人」「真理を体得した1修業者」と自ら考えた。
ブッダは何を説いたか?
「スパッダよ。わたくしは29歳で、なにかしら善を求めて出家した。スバッタよ。わたくしは出家してから50年余となった。精理と法の領域のみを歩んできた。これ以外には<道の人>なるものも存在しない。」このことから、ブッダが説いてきたその一端がわかります。
ブッダの実践の内容とは?
「法の身を歩むこと」「真実の道を歩むこと」。その歩むという実践を説いた。
ブッダは、実践を重んじた。無執着を実現する道「清浄行」を!
つまり、
ブッダの道は、“自己浄化の道“でした。
どうしたら人間は清浄になれるのか?
清浄行の実践の根拠⇒四法印(無常・苦・非我(無我)・涅槃)
「一切の形成されたものは無上であり苦である。一切の事物は我ならざるものである」と受け取って生きることが清浄な生き方である。つまり、「執着を離れろ」ということです。
(ダンマバダ273-279)
諸行無常・一切皆苦・諸法無我(非我)・涅槃寂静。すべての方向は「無執着」を指しています。
これがブッダの教えの基本です。
人間の心は煩悩や画質によって汚れていると考え、心をコントロールする必要を痛感する人はブッダの信者となる。
我論争せず⇒御自説を主張して譲らない論者は、自説に対する執着ゆえに、他の論者と確執を起こし、自説はかえって争いの種になります。(スッタニパータ1883-884,907)
どう心をおさめるか?
「清浄行」となる。
この行とは、とらわれ、妄執(渇愛)の克服です。過剰な欲望の克服です。それは一度にできませんが、常に挫きつづけることによって解脱へと近づきます。これが自己浄化の道であります。
心の制御 (ダンマパタ1-2,119、121