2年前の読書メモ・・・。(1/2)
「なぜ、脳は神を創ったのか」(苫米地英人著)を、5,6回読んだことで、
私が特に気になったカ所は?
・このまま放っておくと、宗教を利用する政治とビジネスの止めどなき煩悩によって、人々はとことん利用され、食い物にされるかもしれません。まざに、人類衰亡の道にまっしぐらに続くゲートが開いたのです。(p188)
とすれば、いま私たちに何が必要でしょうか?
1つは、かって宗教と政治が合致していたころの世界に戻ること、
2つは、政治からも宗教からも自由になること
特に、著者は、2つ目のことが、21世紀の生き方、つまり、神の存在が正式に否定された21世紀の生き方だと考えているようです。
その為の方法として、
①否定から入る方法
②肯定から入る方法
完全に自由になることの先に拓ける世界は、「絶対的な唯一の価値が存在するという幻想を否定する世界」です。
そのイメージする世界は、
①餓死する人間が一人も出ない世界(=生存兼が保障される世界)
②機会が均等する世界(=機会均等が保障される世界)
生存権と機会均等が保障される世界とは、「税金不要の世界」です。
税金不要の世界を創る手段は、 「準備預金制度の撤廃・禁止」です。
準備預金制度の撤廃・禁止されると、新しい国家像がはっきりします。
①国会議員と公務員の仕事の対価は無給
②国家をなくす(=地域地域で自分たちに必要なサイズの自治単位を創り、自治や地域サービスを行う、地球全体で解決すべき問題は、世界的な投票システムをつくって決める)
人間の数だけある価値を、お互いに認め合い、尊重し、それぞれが人生のゴールを実現できる世界。(→完全に自由になること。=絶対的な唯一の価値が存在するという幻想を否定する世界)
宗教は、夢や希望を見失い、意欲をなくした人間を都合よく利用し動かすための最も簡単な方法です。
それが、政治で利用、更にビジネスで組織をあげて利用されつつあります。このままほっておくと、それを利用する政治とビジネスのとどめない煩悩によって、人々はとことん利用され、食い物にされることが予想されます。
まざに、人類衰亡の道へまっしぐらに進むゲートが開いたのです。
<危険な兆候>
ビジネスでの歯止めなき積極的宗教利用(従業員牧師の導入);格差社会の拡大現象→金融業とそれに付帯するサービス業に従事する人々の所得と製造業などに従事する人々の所得格差な拡大(①大金持ち=金融機関、金融業界で働く人に牛耳れらる世界。②わが世の春を謳歌する、金融機関、金融業界で働く人)→製造業の福利厚生費を始めとする人件費抑制策(=従業員牧師の導入)
<対抗策>
①かって、宗教と政治が合致していた世界に戻る。
②政治と宗教から自由になる(この世、あの世の煩悩からの自由)、完全なる自由。
<完全なる自由とは>
絶対的な唯一の価値が存在するという幻想を否定する世界ならば、完全に自由になれる。
<絶対的な唯一の価値が存在するという幻想を否定する世界は>
生存権と機会の均等(=基本的人権)を保障する世界のことです。
<絶対的な唯一の価値が存在するという幻想の世界>
絶対的な唯一の価値が存在するという幻想の世界が、20世紀です。
20世紀は、人間の命や生きることの満足感(基本的人権)を犠牲にして、唯一の神を前提に成り立っているそれぞれの国家権力が覇権を争い、資本主義という唯一のモノサシによる世界の純粋化を進めた100年だった。
<苫米地から頂いた、ある気づき!>
20世紀は、
人間の命や生きることの満足感(基本的人権)を犠牲にして、
唯一の神を前提に成り立っているそれぞれの国家権力が覇権を争い、資本主義という唯一のモノサシによる世界の純粋化を進めた100年だった。
※神は存在しない、唯一のモノサシも存在しないにもかかわらず。
<ある気づき!の事例>
“洗脳されるづける私たち“
“まやかし① 人間に順番を付けることはいいことだ”
“まやかし② 資本主義の下で競争し、お金を稼ぎなさい”
この世には、唯一絶対の価値のモノサシはありません。
21世紀においては、誰かが与えてくれるモノサシのすべては、まやかしです。
存在しない神と同様に、存在しない価値を、無理やり洗脳されて「たしかにある」と思わされているだけです。
つまり、そのことが宗教になっているということです。