仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

生きるとはどういうことか?

生きるとはどういうことか?
(生きるとは? 生きる目的? どのように生きるべきか?)

<生きるとは?>
生命とは、感覚のあるもの、いわゆる感じることができるものが生命であります。
生命は、身体にいろんなものを感じるとエネルギーを新たに作り出します。
生きるとは、エネルギーを置き換えて置き換えて、動いていることです。

感じる⇒エネルギーが生まれる⇒動く⇒苦が発生
生きることは「苦」である。

<参考までに>
例えば、ずっと食べ続ける、ずっと座り続ける、ずっと呼吸を止め続ける⇒ものすごく苦しくなります。すると、食べるのをやめる。立ち上がります。呼吸します。となります。
それで、苦しみから逃げられたわけではありません。新たな苦しみが生まれます。
そのように、我々はエネルギーを置き換え、置き換えで生きています。それが生きることです。
そのエネルギーを変えて、変えています。

いくら変えても楽になりません。幸福になりません。
命は、色・受・想・行・識この5つでできています。この5つの相互依存で成り立っています。これまたいろいろな原因によって生まれては消え、生まれては消えていきます。
だから生命は一個だけでなく複数、いくつかのシステムです。それを組み立てたところで生命ということになります。


<生きる目的?>
仏教から見ると、生きるとは苦の置き換え、置き換えでした。
苦を置き換えることです。
だから目的って成り立ちません。だから、目的はありませんが目的を作ってあげているのです。
そうです、解脱することを生きる目的とすべきです。
残念ながら、生きることには目的はありません。
だったら理性に基づき解脱するべきという目的を作らなければなりません。
目的を作らなければいけないのです。


<どのように生きるべきか?>
逆説的に、命にははっきりした目的があって生きています。
それは苦を避けること、死を避けること、幸福になることです。生きることは苦だからこそ、この目的が自然に起きるのです。
生きることは他の生命との関わりによって成り立っています。

自我は誤作動です。
自我を張らずに他と関わる。 これがうまくいくとムチャ楽しいのです。
(だから、最終結論は慈悲です。)

では、どうすれば、自我を張らず、どうすれば敵を減らし・見方を増やすことができるのか?
それが、お釈迦さまが推薦する「慈悲」です。

目的には、2つあります。
「幸福になりたい」という一般的な目的と「解脱に達したい」という仏教的な目的です。
目的は別ですが、「正しく生きる」という課題は両者にあります。

前者は、幸福になりたいために生命、人間関係を築きます。
後者はエゴ意識をなくし執着をすてるために生命、人間関係を築きます。
どちらも正しい生命、人間関係が欠かせません。

従って、
「慈しみ」は、すべての生命に欠かせない課題となります。

出典 http://www.geocities.jp/dhammini131/index.html