仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

ブッダは何を説いたか?

ブッダの教説のポイントは?  「慈悲」にある。
②「法の身を歩むこと」「真実の道を歩むこと」。その歩むという実践を説いた。

③清浄行の実践の根拠⇒四法印(無常・苦・非我(無我)・涅槃)
「一切の形成されたものは無上であり苦である。一切の事物は我ならざるものである」と受け取って生きることが清浄な生き方である。
つまり、「執着を離れろ」ということです。
諸行無常・一切皆苦・諸法無我(非我)・涅槃寂静。すべての方向は「無執着」を指しています。
これがブッダの教えの基本です。
④思うに、苦楽の「中道」から始まった。 中道に次いで、四聖諦を説いた。
上記の四諦八正道を始めての説法とする伝承のほかに、非我説(無我説)を説いたとする伝承もあります。

⑤当然「因果の道理」であり、苦の原因(渇愛)とその克服の方法(渇愛の超克)であった。
⑥ブッダは、人間のありよう(存在)を、
「一つは、人間は苦なる存在であること」、
「二つには、欲望、執着、妄執の存在であること」、
「三つには、常なきもの、無常なる存在であること」

とした。

⑦人間存在の内側には妄執、渇愛が潜んでいる。
これは人間の根本的生存欲であり、その根は「無明」に根づいている。この無明は、カルマの闇であって、はじめもなく際限もない。
この無明から妄執、執着、生存、生老病死の苦が生起する。
これが12因縁のパターンである。
⑧人々は自我が存在するものと思っています。
しかし、この自我は妄執によって仮構されたものであります。
従って仮に存在するものです。自我とは仮に存在するものと見破って、自我への執着を離れよ。
そうすれば、世界は「空」なりと観ることができる。それが死を乗り越えることである。

⑨それはすべて常ならざるもの、無常であるからです。
それを別の角度からみると、我ならざるもの(非我)を我(アートマン)と見なすところから起きる。
とブッダは説きます。
⑩人間は、自己の生存欲を中核として自己意識を構築し、それによって自己流の世界像を造出します。
この世界像の中に住んでいる者は、利己的で排他的な自己であります。
この自己を我執の自己といい、孤独な自己といいます。
ブッダは、この自己を排除することを求めます。
その一つが所有欲の排除で、所有欲は人間の最も深い本質的な執着です。
これから解放されるには、とても大きな努力が必要です。

⑪仏教はあくまで苦の克服を目指す実践哲学です。
苦の克服には、執着の死滅を説きます。
解脱を求めるものはその死滅を目指さなければならない。
⑫自己浄化の道であり、自己制御の道であります。
常に禅定に入って心を浄める努力が第一です。自己を護り、自己をつつしんで清浄行を実践し続ける。
これが無我実現の道であります。

⑬ブッダの教説は
「我執を離れ、精神を統一し、慈悲心をいだいて修業すれば解脱に至る」
というものです。
⑭努め励む、不放逸の教え

⑮私は、世界は常住か、無常かにつては説かないが、生老病死の苦しみを制圧する方法については説くのである。
毒矢のたとえ。
まずその苦悩を解決するのが先決である。
そして、その解決法が四諦の教えである。結局行き着くところは、八正道の実践とうことです。
⑯心の安らぎを求めない人はいない。
「安らぎは、欲望の充足では得られない。欲望の止滅によって得られる」とブッダは説く。

⑰仏法存続の7つの法、無常のことわり、自帰依・法帰依の説法
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成なさい」