仏教、浄土真宗を学ぶ jho123's blog

なんてことない!見方を変えれば、楽(幸せ)になれる。そういう視点から、ブッダの説く仏教や親鸞の説く浄土真宗を考えで見たいと!

おぼろげに見えつつあるもの・・・?

下記に記す「2つの文章」で・・・・。
「釈迦の悟ったこと」が見えてくる。

不思議です・・・。
非常に、不思議ですが・・・。

そして、縁起と空についても、理解が進むのでは・・・・?


私は、なんとなく、見えてきたように感じております。
何度も読み返し、思索を続けたことで・・・・・。
読み返すごとに、見えてきます。「釈迦が悟ったこと」が・・・。


下記に記します。非常に重要なことですよ・・・?

「悟りは体感・・・?

すべての五感と脳を使った体感、それが釈迦の悟った中身です。
ストコーマ?⇒“自分が重要と思っているものしか見えない“ということをストコーマという。
そうすると悟りがどういうもか,だんだん見えてくるでしょう?

⇒自我の定義?
自分にとって重要なものをあげている。
自分を定義しようとして、徹底的に定義すればするほど、自分にとって違うものを語っているのだ。
自分に集中すればするほど自分に関係のないことを細かく言うことになるのね。
実は、それが「縁起」という概念です。

実はそれが釈迦の語ったことです。それを大乗では「空」と呼ぶ。
そうでしょう! 
まさに、自我が空であるでしょう。 

自分を探しても定義(=自分を細かく細かく言うこと)しかないのだから・・・。

数学でいう点という定義と同じです。2本の線の交わったところを点という。

ところで、点というのはあるでしょう? 確かにあるが、点というのを
見せろと言われたら・・・。

困るでしょう。

自分という定義もそうでしょう。

点そのものはいくら探してもないでしょう?
だから、縁起の思想は同時に空の定義とも思想ともいえる」


「そこで、さっきのコーチングに戻るわけです。

「自我」というのは、「宇宙」と同じなのです。
重要性並べ替え環境?

釈迦は、どっちが重要かわからない人なのね。
「ボールペンとお母さんとどっちが重要」って悩む人が釈迦なのね。

どういうことですか?
「自我」がないから。

自我の定義とは重要なものを選ぶことができるから自我でしょう。
関係の結び目でしょう。
関係が結ばれてないんだから。選べないよ、どっちが重要かどうかわからないから。
だから、自我がない。

釈迦に近づく努力をしなさい、それが釈迦の時代の八正道でしょう。

コーチング?⇒コーチングとは、自分の重要度関数、評価関数を自由自在に変える訓練なのです。
なぜかというと、我々には、自分にとって重要なものしか見えないから、自分が定義されているのは?誰が定義しているのかというと、自分を定義するものの多くは、間違いなく過去の記憶なのです。

何が重要かをはっきりと認識できないと、パフォーマンス(結果・成果)が出せないでしょう。
ゴールを設定して、そのゴールに従って重要性関数が生まれるのね。
ゴールによって見えるものが変わってくる。

例えば、「子供ができたから、町に子供が多いことに気がついた」ってこと。
子供をつくることがゴールで、そのことを重要と思ったから、子供が多いことに気がついた。

ゴールの設定のよって、重要度が異なり、「自我」が決まっていく。
それがコーチングと自我の裏表になるわけです。

ストコーマ(心理的盲点)、行くよ。

何も重要でない人はどうなるか?
これは何も見えない。

反対に、じゃ「全部見える人は?」

全部同じように見えなければならない、それが釈迦の悟りの本質ね。
すべてのものが同じように重要だったときに釈迦に見えたもの、それが釈迦の悟ったこと。

自分が正確に定義できると宇宙も正確に定義できる。

釈迦という人は、宇宙をまったく同じような重要性で見ることができて、完全に思考というものを外れた人だね。
イコール自分が完ぺきに見えた人でしょう。

だから釈迦の悟りの内容
⇒「徹底的に彼が「自分自身」を、はっきり見えた。」


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